アンラッキーの黒猫 淀美佑子

「ちょっと、やめてよ」
と言った自分の声が、うわずっていることに自分で驚いた。
なんてことだ。今さら。

一週間前のわたしは、友達のウェディングパーティーに出席するための靴を探していた。
まともな靴は、通勤用の黒いぺたんこパンプスだけ。
どうせなら、うんと素敵な靴が欲しい。
かかとを鳴らせば好きなところに飛んでいける、魔法の靴みたいな。
もちろんそれは、おおげさな例えだけど、「素敵な靴は素敵な場所へ連れていってくれ
る」という古い言い伝えのようなものを、わたしは好きで信じている。
百貨店のほかにもあちこちまわって、最後に立ち寄ったセレクトショップでわたしが選ん
だ靴は、白いパテントにビジューがきらきらついたパンプスだった。もちろんヒールはい
つもより高め。
背中の開いたドレスに合わせるんだし、足が長くすらっと見えるところなんかも気に入
った。

でも、ちょっと張り切りすぎたかも。わたしは、そろえた膝に視線を落とした。慣れない
ヒールで足が痛い。素敵な靴に、素敵な場所へ連れていってもらうどころか、ビュッフ
ェスタイルのパーティーを抜け出してロビーの椅子に腰かけているところだ。
しかしまあ、それもいいかとため息をつく。
結婚する友達は、地元の幼馴染み同士なので、招待客も知った顔ぶればかり。同窓会同窓
会気分で、久しぶりに会う友達の近況を知るのも楽しいけれど、新しい出会いがないのは
残念。それに、色々と過ぎたことを思い出す。
気にくわないやつのことも、思い出す。

あいつ。
猫みたいなやつ。ちなみにわたしにとって、猫は天敵だ。
アレルギーは不可抗力。くしゃみは出るし目も赤くなる。
それは別としても、とにかく猫は感じが悪い。可愛くないと言えば嘘になるけど、なにし
ろわたしは、やつらになつかれたことがない。近所の猫は、バカにしたような流し目で見
たり鼻で笑ったり。いとこのうちの猫は、太ってふてぶてしい態度で、撫でようとすると
ひっかいてくる。

そういうやつなのよ、あいつは。
細見のブラックスーツで現れた彼は、わたしにとって、不吉な黒猫のよう。いじわるな目
付きでじっとわたしを見て笑う。
小学校の頃、わたしは腹がたって上履きを投げつけたことがあった。理由は忘れたけど。
今ならば、ハイヒールのかかとで踏みつけてやるほうが効果的だわなんて、考えながら思
い出した。

だけど彼は、立ち上がれないわたしの横に腰かけて、じっと見つめてくる。
「な、なによ、化粧が濃いとか言うつもりでしょ」

彼はわたしの言葉に返事はせず、ふふんと鼻を鳴らした。わたしが切れ長の彼の目を見な
いようにしていると、わたしの左手にぬくもりが覆いかぶさった。彼の手だった。
「ちょっと、やめてよ」
と言った自分の声が、うわずっていることに自分で驚いた。もしかしたらわたし、顔が赤
い。きっと黒猫アレルギーだ。
「なんでいつもそうやって!」
わたしが声を荒げかけると、彼はそれをさえぎって言った。
「なんでいつも、俺のこと避けるの。ずーーっと前から好きなのに」
だから嫌なの、勝手に自分のペースでわたしを振り回すから、猫みたいな、あなたなん
か。
と、わたしは声に出しては言えなかった。

なんてことだ、今さら。
とりあえず、素敵なハイヒールで彼をふんづけるのは、やめておく。
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