Present for you 宍井智晶

 20代最後の誕生日。
 仕事が終わり、あてどなく一人、街を歩いていた。
 そんないつもの道の向こうから、オフィス街では見ないタイプの男の子が歩いてくる。モデルみたいに背が高く、きれいな金髪をした男の子。
 その子が、すれ違う時、ちらと私をみた。
 みた、ような気がした。
 それだけで十分だった。
 凝りもせず私は、人生何度目かの一目惚れをしてしまったのだ。とっさに後を尾けていったら、いつのまにか怪しげなバーの前にいた。
 「ま、いっか」
 後を追いかけ、足を踏み入れることにする。
 ――――――そこで私は、奇妙な光景を見ることになった。

 裸の肩や腰を揺らし、汗を飛ばす人々。
 ぶつかってもステップを踏み続け、一斉に奇声をあげる人々。
 みんな、暗闇の中、踊っているのだった。
 それなのに、音楽はどこからも聞こえてこない。
 誰もが、無音の箱の中で踊り続けていた。

 ……怖過ぎっ。
 だいたい、公共の場で人が騒いでいるのを見るのすら、私には初めての経験だった。なんとか勇気を奮い起こし、人波に逆らって、金髪の彼を探そうとしたが、あっけなくバーカウンターの方へと押し流される。
 「えっと…ビ、ビールをください。」
 無表情のバーテンダーが、どん、とカウンターに載せたのはしかし、ビールではなく別の物だった。

 「ヘッドフォン?」 

 周りを見渡せば、客はみな、色とりどりのヘッドフォンをつけている。よく見れば、バーテンダーもだ。
 そういえば、聞いたことがあった。
 ワイヤレスヘッドフォンで音楽を聞きながら踊る、サイレントディスコというものがあるって。
 この国では、公共の場での音楽もダンスも禁止されているけど、『ヘッドフォンは私的空間で使うもの』だから、ギリギリ合法なのだとか。
 「よくわかんないけど……ま、いっか。」

 なりゆきで、ヘッドフォンを装着した。
 その瞬間に、全ての映像が吹き飛ぶ。
 気づけば私は踊り出していた。
 ドラムの重低音に合わせて、地面を歩いていたはずなのに、知らぬ間に高みに連れて行かれ、空から突き落とされる、異様な高揚感と緊迫感。
 誕生日には、ぴったりくる感じ。
  
 音楽にのって拳を突き上げた時、背中を叩かれた。
 振り返ると、私の苦手な若い女の子達が、口をパクパクさせている。ヘッドフォンを外したら、静寂と言葉が復活した。
 「背高くてかっこいいのに、なんでスーツなんか着てるの?」
 「こうゆうところ来るタイプに見えないよね。」
 「普段いい人っぽくしてる奴ほど、嵌るんだよ。」
 いきなり好き放題言われて、私は黙る。何なんだろう、こいつら?
 「私たち、DJの友達なの。ほら今、回している人。」
 「…あっ」

 女の子達が指差すDJブースを見上げたら、あの、金髪の男の子がいた。軽くうつむきながら、機械を操作している。長い指で、少し乱れた前髪をかきあげる時、真剣な瞳がみえた。

 みとれていたら、目の前をふさがれる。赤い爪の女の子が、ずいっと出てきて言った。
 「知ってる?DJの音の周波数って、本当はすっごく遠くまで届いてるんだって。」
 「……だから?」
 「だから、あたしたち、ヘッドフォンつけたまま外行こうと思ってるの。一緒にくる?港が見える公園で踊るの。気持ちいいよ、絶対。」
 私は、一歩、後ずさった。
 そんなことをして、どんな罰を受けるかわかっているんだろうか。
 絶対ありえない。
 黙っていると、赤い爪の彼女は、くすくす笑いながら言った。
 「紹介してあげるよぉ?DJ」
 ……自分を棚に上げ、私は思う。
 恋愛体質の女と革命家の男、頭のおかしさではいい勝負だろう。
 「ま、いっか。……やる。」
 

 足の震えを抑えるため、テキーラを何杯も飲んだ。
「3回目の間奏のRock’nonRock’onBrokenGlasAnDoors♪(ロキノンロキノンブロウクングラスエンドアーズ)で、左手の非常口から逃げるの。みんなで一斉に。いい?絶対に遅れないで。」
 一度だけ、早口で指示され、何度も頷いた。
 私は、ヘッドフォンを耳に押しつけ、目を閉じ、身構える。

 ……なるべく、人が多い路地を選んで逃げるべきかな?
 街の光が、目の端で、溶けて流れだし、
 海の匂いが、少しずつ濃くなっていって、
 心臓が破裂しそうになっても、走り続けなくちゃ。
 何が起こってもきっと、彼の音楽は流れ続けているんだろう。
 誰も気づいていないけど、DJが放つ音楽の電波は、街全体に飛び交い、張り巡らされ、踊ってくれる人を待っているんだから。

 暗闇の中、私は、周りより一歩早く駆けだした。
 
 だが次の瞬間、腕に激痛が走る。
 シャツの上から突き刺さる赤い爪に、ぐいっと引き戻された。
 つんのめって振り返ると、女の子たちが大笑いしている。
 パペットみたいに口をパクパクさせて。
 冗談に決まってるじゃん、本気にしちゃった?
 そんなこと誰も本気でやりたいなんて思わないよー。
 ……っていうことなんだろう。
  こめかみから汗が噴出す。私は、走った後のように心臓がバクバクし、このままだと何かを叫び出しそうだった。
 「まあ、いっ…いやいくねえよ。」
 
 その時、涼しげな音が、ゆっくりとヘッドフォンから流れ出してきた。
 海の音だった。
 ベースラインに合わせて、静かに打ち寄せる、さざなみ。
 地面をうろうろしていたはずなのに、調子に乗って雲より高いところで浮かれてたら、あっとゆうまに突き落とされる私みたいな奴が、いつおっこちて来ても大丈夫なように、受け止められるように、永遠に寄せては返す海の音。
 
 私が、目を閉じると、波と心臓の音が重なっていく。
 ごめん、と呟きたくなった。
 ごめん、君の音楽を海辺で聞けたらよかった。そうならなくて一番残念に思っているのは、本当は君なんじゃないの?
 あの女の子達は、全然わかってない。わかるはずもない。
 
 次に目を開けたとき、DJブースの機械から顔をあげ、少し寂しそうに潤んだ瞳をしている彼が見えた。
 交代のためにブースに上がってきた他のDJと一言交わし、白くて長い指でハイタッチして、フロアへ降りてくる。

 彼に駆け寄っていこうとする女の子達の前に、私は立ちふさがった。自分でも驚くほど冷静に。
 「ちょっとぉ、何するのよ!!」
 そして、赤い爪の女の子のヘッドフォンを奪うと、できるだけ遠くに、力任せに、ぶん投げた。女の子達が悲鳴をあげる。
 私は、彼女達を見下ろしたあと、遠くへ目をやった。

 ヘッドフォンは、フロアへ降りてきた彼の足元に、ゴロリ、と転がる。彼は金髪をかきあげながら、それを拾い上げ、怒ったような面白がっているような表情をした。
 そして、ゆっくりこちらを向くと、唇の端をあげて笑った。
 
 今頃効いてきたテキーラで、意識が遠のいていく。
 綺麗な男の子だけが私の世界を変えられる。昔からそうだったし、この瞬間もそうだし、幾つになってもそうなんだろう。
 「ま、いっかあ…」 
 ぐらり、と揺れる視界の中、私は音もなく呟いた。
 ……ハッピーバースデイ。
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