Marble garaxy 真堀橙子

 なんでバレたのかは、今更どうでもいい。鍵もかけたはずの、私のプライベートルームのしかもバスルームにどうやって入ったのかも、どうでもいい。
 私は開き直って、くわえたままだった飴を舐める。
「あーあー、おやつまで用意しちゃって」
 そう言って笑ったその人は、髪の毛がほとんど白い、私から見ればかなりおじさんな人だ。クルーの、しかも上級仕官のジャケットを着ている。
 今この宇宙船は、ワープを控えて乗客も乗務員もみんなコールドスリープ中。
 本当なら客室乗務員の私も、機械の中で眠ってなきゃいけない時間。
「コールドスリープの装置、一個だけ電源入ってなければすぐバレるだろ。迂闊だな」
 おじさんは、笑ってる。てっきり、怒りにきたと思ってたのに。
 私が黙っていると、おじさんはバスタブの横に並んで座る。
「あれだろ。ワープ中の星空が、見たかったんだよな?」
 私は、頷く。そのとおりだから。
 今まで動画バンクの映像でしか見たことがない風景。星の光が溶けるみたいに混じりながら飛んでいく、幻想的な光の流れ。白と赤と青の星がマーブル状になって、見たこともない色に銀河が染まっていく。それを、一度でいいから見たかった。
「まさか女の子とはなぁ。若さと引き換えにしてもいいくらい、見たかったのか」
 コールドスリープに入るべき時間をさぼれば、肉体にかかる負担によって余分に年を取り、寿命は縮む。ワープ航路を使用しはじめてから数年で判明した副作用のことは、当然私も知っている。
 でも、それでも。
「俺もな。昔、同じ事したんだよ。当時は駆け出しのメカニックで。こっそり装置のデータに細工して起きてた。そんで、やっぱり風呂場に隠れた」
 そう。私自身、なんでバスタブに入ってるのかって、改めて考えると変。
「似てんだよな、コールドスリープのポッドに」
 言われて初めて気付いた。ホントだったら入ってなきゃいけない機械の下半分って、確かにバスタブに似てる。そう考えたから多分、私もここに隠れたんだ。
「見たの? マーブルの星空」
 今まで黙っていた私が、急にしゃべったせいか、おじさんは目を見開いてこっちを見た。
「俺ん時も、やっぱコパイが気づいて、探しに来やがった。でも、見せてくれたよ」
 おじさんは、片手を私に向かって差し出す。
「おいで、お嬢ちゃん。コクピットで見るのが一番綺麗だ」
 私は、びっくりして「なんで」とつぶやいた。
「ん? 俺も見せてもらったからな。恩返しだ」
 星が渦を巻くように、人との繋がりもぐるぐる廻る。そういっておじさんは笑った。その襟についてるバッチがキャプテンマークだってことに、今更気づく。
「でも、私何も返せない」
「今はな。でも、いつか誰かに返せるチャンスはある」
 マーブルに光る星空じゃなくても。
 いつか私の持っている何かを誰かに。
「さ、行くぞ。ワープ加速の直前ぐらいが一番綺麗なんだ」
 立ち上がった私の肩を、おじさんはぽんと叩く。ずっと先へ続くどこかへ、背中を押してもらった気がした。

ただいま マワタ

時折、フラッと旅に出たくなる。
理由なんてない。ある日突然ここじゃないどこかに行かなきゃって思って、そしたらまるで熱が出る前みたいに全身ソワソワして、居ても立ってもいられなくなってしまう。先祖は松尾芭蕉だったんじゃないかと思う。
だけど、僕がそんなふうに遍雲の風に誘われて漂泊の思いに浸っていると、あいつの機嫌が悪い。外ばっかり見て呼んでも上の空だとか、だから男の子はイヤねとか。こういうのに男とか女とか関係ないと思う。僕の心はいつも自由なんだ。だから僕も言い返す。僕は僕の行きたいときに行きたいところへ行く。君に僕を束縛する権利なんかない。そりゃ、君のことは好きだけど、僕のタマシイがタビダチをキキュウしているんだ!
それで、あいつのぽかんとしてる顔を尻目に外へ飛び出したんだ。待って、どこへ行くの!という叫び声が風に千切れていく。いつもの曲がり角、公園のフェンス、神社の坂道、水たまりに映った雲。みんなみんなキラキラしてる。あたたかい風はちょっとだけ海の匂いがして、春とどっちが早く走れるか競争したくなる。僕の心は最高に自由だ。
見慣れた街を過ぎ、よく知らない土地に足を踏み入れる時、ほんとはちょっと怖い。
僕の心はもう自由じゃない。ちょっとホームシックになりかけているし、お腹もすいてきた。知らないヤツに睨まれたりすると、僕の繊細な旅心はもうすっかり逆風になびいてしまう。
夜遅くなって、僕は家に戻った。玄関が閉まっていたので居間の窓ガラスをそっと叩いたら、あいつが飛び出してきた。怒られるかと首を竦めると、上からポタポタ水が落ちてきた。見上げると、あいつはおかえり、と言って僕を抱き上げた。ぎゅってされるのちょっとだけ苦手だけど、ただいま。