不器用なノート
まつ
向井朔(むかい さく)は、真新しいノートを小脇に本棚の海をかきわけていた。
「どうせ詩なんて、テキトーにカッコイイ言葉並べるだけでしょ」
なるべく古くて目立たなく、立派な本じゃなくて出来ればペラペラの雑誌みたいなものがいい。
父の書斎へ一応母の許可を得て潜入し、秘密裏に探して居るのは夏休みの課題攻略に必要な最終兵器。
『短くても良いから自分の力で、2つ以上の詩を作ってくること』
これが、担任が1年4組に課した夏休みのクラス課題だった。
大学で日本文学、要するに国語っぽいものを教えている父は一人娘の名前を好きな詩人から拝借するほどの本の虫なのだが。そんな父の娘である朔は、中学にあがった今も本なんて3行読んだだけで眠くなり、二学期が明日に迫った段階でやっと課題に手をつけるテイタラクだ。
「朔ちゃん。まさかとは思うけど丸うつしなんてダメよ?」
書斎の鍵を借りる際、母親には釘をさされてしまった。
(1つを丸うつししたらそりゃバレるけど……いくつか混ぜちゃえば、ねぇ)
マイナーなものを見繕って繋ぎ合わせるならいけるだろう。
普段本も読まず、詩なんて授業の時くらいしか目にしない朔にはいまいちピンと来ない。
授業で取り上げられた詩を思い出し、あれくらいならテキトーに3つか4つ詩を掛け合わせればすぐ出来てしまうだろうと高を括っていた。
書斎の一番奥。壁際の本棚の一番下へ、隠すように置かれた古ぼけた紙袋を発見して心が踊る。
「どれどれ……お!」
中には手書きの文字がつらつらと並ぶノートが数冊。詩が書き留められており、パラパラと捲る合い間に幾つもの文字が躍っていた。
「えっ……?」
ぼんやり物色する目の前に突如広がったのは、うつくしい夕暮れ。
『儚い笑顔に胸をそっと締めつけられて
土手を凪いだ風の所為にして
ただ 瞳を閉じるだけ
そうして
きんいろに燃える小川を背に
君の瞳には 僕だけを映して』
小学校からの帰り道。
川べりの遊歩道を夕日に向かって歩くと、全部が金色に染まる瞬間がある。
一瞬でそれを思い出した脳内には、金色の小川をバックに微笑む少女の幻さえ見えるようだった。
目をぱちくりとさせ、さらにページを捲る。
『やさしい昼下がり
木洩れ日に包まれて
頬杖
眠るきみを見ている
窓の外は移ろい続け
陽射しが角度を変えて行く日々
ただ
きみがそばにいればいい
気にせず眠っていてよ
そして今日も
木漏れ日の窓辺
眠るきみを見ている』
まだ朔が小さかった頃は、幼稚園から帰宅した後、リビングのソファで昼寝をするのが日課だった。
キッチンから漂う夕方の気配に目を覚ますと、木曜だけは帰宅の早かった父が隣で穏やかに微笑んでいたことを唐突に思い出す。
もうずっと忘れていた想い出が一瞬で蘇る不思議に、気がつくと、ノートに溢れる少し几帳面な文字を時間も忘れて目で追っていた。
「あら、懐かしい」
不意に母が顔を覗かせ、手にした麦茶のコップを朔に渡し、かわりにノートを受け取って、何かを確認するようゆっくりとページを捲っていく。
『君はぼくの輝ける星
暗闇を照らす真白き太陽
君がぼくの輝ける星
この胸に 消えない灯をともす』
最後のページ。
何度も手直しされたその跡を、指輪の光る左手がゆっくりとなぞる。
「これ、お父さんがプロポーズの時にくれたの。こんなに沢山書き直してくれてたのよね」
少女のように照れながら、少しだけ誇らしげに笑う母が眩しくて。
新品のノートの1ページ目に、朔は思い切り大きなバツを書き込んだ。
「ふふ。朔ちゃんのノートも、お父さんとお揃いね」
カッコイイ言葉じゃなくてもいい。
何回も書き直したあの不器用な跡を自分のノートにもつけたくて。
慌てて麦茶を飲み干した朔は書斎の鍵を放るように母へ返し、自分の部屋目がけて駆け出していた。