星月夜 マワタ

今夜もまた最後になってしまった。そろそろ帰ろうと研究室の電気を消すと、茶箪笥の
奥からうっすらと明かりが漏れている。廊下の照明が反射しているのかしら?と覗いてみ
ると、蛙たちがまん丸のお腹をさらにポッコリ膨らませて眠っていた。数日前からお月
見、お月見と騒ぐので、出勤途中にお団子を買っていくと、あからさまに軽蔑した様子で
「手作りじゃない!」とか言っていたくせに、すっかり平らげたようだった。今、そのポ
ッコリ腹は障子戸の向こうから照らされて白く光っていた。と、蛙たちが目を覚ました。
「お、月が昇ったね」
  小さな手が障子戸を引き開けると、その奥には黄色い満月が浮かび、薄の穂が風に吹か
れて光っていた。
「え、どういうこと?」
「なにを驚いてるんだろうね」
「今夜は中秋の名月だよ」
「それは知ってるけど、だって、なんで箪笥の向こうに月が出てるのよ!?」
 こちらの混乱をよそに、蛙たちはケロケロ笑いながら月を愛でるばかりだった。

  それから2週間ほど経ったころ、私は鎌倉へ出かけた。満月の翌日、蛙たちの抗議を無
視して茶箪笥の中を調べてみたが、障子戸は押しても引いてもビクともせず、ただの飾り
戸なのだった。そもそも後ろの壁は隣の研究室との境界で、開いたところで外が見えるは
ずもないのだ。探索をあきらめかけた時、茶箪笥の内壁に焼きで文字が刻んであるのを見
つけた。鳴く荷物のニに家、と読める。
「めいかけ?」
  ググってみると、鎌倉にある骨董店の名前だった。この茶箪笥の来歴にむくむくと好奇
心が湧いてきて、学会のついでに足を伸ばしてみることにしたのだ。
  日が暮れかけた頃、住宅街の中に焼印と同じ看板を見つけた。ガラス戸を押して入る
と、銅製の鐘がカランカランと音を発てた。目に飛び込んできたのは布張りのトルソー、
デコラティブな鳥籠、中国風の陶器の壺、漆塗りの譜面台のようなもの、大小さまざま
なボタンに食器類。骨董店なのだからあたりまえだけれど、決して新しくはなさそうな
品々が床に置かれたり、天井から吊ってあったり、ぶつからずに歩くのが大変なほどだ
った。店の奥では職人風のエプロンをつけた女性が机に向かっており、その手元だけ明る
く照らされている。来客にも気づかないで一心に作業している。気後れしながらも、声を
かけてみた。
「あの、こちら、めいかけさんって読むんですか?」
「なるにやです」
  こちらを向いた眼鏡が虫眼鏡のように分厚くて、その向こうで途轍もなく大きな眼がぎ
ょろりと睨んだ。こちらが怯んだのを感じたのか、
「今おじいちゃん居なくて」
  と眼鏡をはずした女性は思ったよりずっと若くて気さくだった。工芸を専攻している学
生だと言って、今修理していたカレイドスコープを見せてくれた。
「小さい穴から覗いて見た世界って、キラキラしてて好きなんですよね。ほら、手でこう
やって見るだけでも、なんか普段と違って見えるでしょう?」
  と両手で小さな覗き穴を作ってみせた。その様子にとても好感が持てたので、思い切
って茶箪笥のことを話してみると、
「ああ、家具って結構別世界に通じてるもんですよね」
 と事もなげに言う。一瞬呆気にとられたが、同時にストンと納得した。

「あ、ナルニア国物語」
「そうそう」
 その時、蛙たちにそっくりな猫の人形がふたつ、机の端に座っているのが目に入った。
「あ、これ」
「猫はやめた方がいいですよ。蛙と仲悪いから」
「あ、そうよね。鳥も嫌いなくらいだしね」
 女性はにっこりと笑って、
「満月もキレイですけど、今夜は空が万華鏡ですよ、星月夜だから」
 と言って送り出してくれた。
  そうか、今日は新月なのね。鎌倉の街は案外明るくて、満天の星空とはいかなかったけ
れど、大学の空はきっと星が明るいのだろう。それから駅でお土産に金平糖を買いながら
ふとさっきの会話を思い返した。そういえば私、蛙の話したかしら?
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